叔父記

40代前半のおっさんの記

《お金じゃないエネルギー》について考察

最近、お金について…といいますか、《お金じゃないエネルギー》について考えています。 このテーマについては、2012〜13年頃に考えていた《お金じゃない働き方》について考えたことが始まりだったかもしれません。

《お金じゃない働き方》について

2011年に震災を体験して、価値観にシフトが起こった人は多いと思います。僕もその一人です。 その流れから、お金じゃない働き方について考えるようになりました。

僕は好きなことばかりを仕事にしてきたので、給料の額面や安定を前提に仕事を選んだことがありません。 一時期受け取る金額が8万円になってしまったことがあって、この時はけっこう困りましたが…。

しかし、なんだかんだ最終的にはお金で評価をしている感覚がありました。 会社の給料は安いなとか、世の中の平均年収と比較してどうだとか、今の給料で満足とか不満とか、その時の仕事について問われた時、お金を軸にして考えたり答えたりしていることが多かったわけです。 お金はわかりやすい価値単位なので、話し相手にも伝わりやすいことが理由だったかもしれません。

資本主義社会は飽和しているとか、戦争はビジネスだとか、ビジネスのために不自然な食料が生産されているとかを知るようになって、改めてお金に意識が向くようになりました。 これからは成長ではなくて持続、もしくは成長だとしても今までのように作りまくって売るではなくて、循環的なものの考え方が重要の筈と考えたりもしていました。

丁度?人生に煮詰まっている時期でもありました。困ってはいないけど、何をしていいかわからない、このままでは衰退していったり、生き延びるのが難しいかもしれない…そんなことで頭がいっぱいでした。

このような状況から自分の仕事について考える中で、《お金じゃない働き方》ってあるのかな?ということを考えるようになっていました。

ボランティアの一種である《プロボノ》に出会う

お金じゃない働き方について考えている時、ソトコト(雑誌)で「NPOのアイデア」に関する特集があり、その中でプロボノが紹介されていました。プロボノとは自分がもつスキルを活かしたボランティア活動のことです。

ボランティアと言われると敷居が高い…といいますか、さほど興味はなかったのですが、自分が培ったスキルや経験を活かすことが前提で、半年単位の拘束はあれど(建前上?)週4〜5時間程度つかえれば可能であることを説明しているプロボノ団体があったので、なんだか都合がよい活動ができそうだし、それでいて社会貢献(になる筈)だし、新しい世界でもあるので興味をもつことができました。 そして、その団体に登録、時間がたちすぎないうちに半年間のプロボノ活動に取り組むことなりました。

登録から2年が過ぎていますが、今現在もなんらかの形でプロボノ団体に関わり続けています。 プロボノ活動については今回の話の本筋ではないので、またの機会に書ければと思います。

ここで言いたかったのは、お金がもらえなくても生産性のある活動はできる、働ける、そのためのエネルギーを人間は持ち合わせている、ということす。

《お金がないと続かない》という話

やりたいと思ったらやる、楽しそうだと思ったらやる、というのが自分の基本姿勢です。 やると決めるとき、お金や時間のことはあまり深く考えません。やりたいか?やりたくないか?が自分のなかで重要なんです。続けているプロボノ活動でもこの通りです。

プロボノとは別に、シビックテックというものに関わりをもつようになりました。 これは市民活動の一種で、やはり無償の世界です。 シビッテックの世界にはアイデアソン、ハッカソンという場があり、市民が抱える課題の解決方法を考えたり、実際にそのためのツールを開発したりするという活動が行われています。

ここで様々なものが生まれてはいるのですが、その場で終わるものが殆どらしく、その理由は無償であることが多いようです。 これは、続けるにはお金が必要、と自分は認識しました。一般論としても、どんなに素晴らしい活動でもお金がなければ続かない、という話はよく聞きます。

自分の活動にあてはめてみると、まぁたしかにそうかもなぁ、とは思いました。 複数メンバーで動いてる場合、お金が発生しないものはメンバーのコミット感が曖昧だったり、早期にうやむやになったり、アイデアだして終わりみたいなことが少なくありません。

続けるにはエネルギーが必要です。お金があれば続くということは、お金ってエネルギーなんですよね。

《お金じゃないエネルギー》とは何なのか?

今気になっているのは《お金じゃないエネルギー》についてです。 なんか無限のエネルギーみたいなイメージがあるのですが、まだ漠然としててこれについて深く語ることができません…。 ここでは《お金じゃないエネルギー》が気になっている背景について少し書いておこうと思います。

世の中お金で動いています。 お金が沢山あると喜び、お金が全然ないと悲しみます。 お金の有無によって格差が生まれています。 何かをする時にお金で判断をするのは普通のことです。 お金で自分の評価をする人も多く、お金で他人を評価する人も多いです。

現代の社会システムはお金があることで成立しているので、お金は大事で一定量必要なのはわかっているのだけど、世の中、お金に振り回され過ぎなんじゃないのか?と思います。

お金を増やすこと儲けることが重視されていたり、それ自体が目的になっていたり、すばらしい活動やサービスだけど対価が高額だと感じたりすると嫌な気持ちになります。

対価への感じ方は個人の性格、状況、ステータスなどでまちまちだとは思いますが、自分というフィルタでお金への欲を感じると嫌な気分になる…という感じでしょうか。(テーマとして大ネタなわりに私的なことですが…。)

お金について嫌な感情を抱くことが最近多くありまして、なんか《お金じゃないエネルギー》ってないもんかな?と思うのです。 いや、《お金じゃないエネルギー》は存在するのですが、そこがもっと重視・尊重される社会を望んいるのかな…。この点、まだ自分の中でなんとも言えないところで、これからも向き合っていきたいと思っています。

最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたらば、ありがとうございました。 この件はまたいずれ続きを書きたいと思います。